一瞬一瞬が
何とかジョーカーをみる資金を捻出した。わいは硬派なので1800円でみるんやで。
残金220円であと二つレンタルして、もう映画はしまいです。初詣のお賽銭は…
せや! tポイントが5あった。これで思い残すことはありません。
そして年明けに京都金杯で1万を3万にしてっと、あれぇ~~~、その1万円は!?
お・と・し・だ・ま。 お年玉! あれぇ~~~、お年はいくつ!?
二千二十年デス。 よいお年を! (^^)/~~~
イタリアにはジュリエッタ・マシーナがいました。日本には高峰秀子がいました。
「放浪記」の高峰秀子がサイコーすぎるのでみてみて。
https://youtu.be/ZzFF5X1THcs
マネーショート面白かったーーー
資本主義社会に生きる人間は観た方がいいと思う
ツボだったのがソファー上でのチャーリーの喜び方
↓
https://youtu.be/XBzhk5eANTU?t=207
観終わって思ったのは、改めて、こういう世界に生きているんだなあってこと
私の理想の通勤スタイルです
https://youtu.be/CJR6my7A_Vk?t=236s
ジョン・トラボルタどこに出とるん?そこかっ!な楽しい映画でした
>>63 最後の映画にと『ファニーとアレクサンデル』をみた
きつかった、ひたすらきつかった
表現なんてクソ食らえ
でも見ないといけなかった
アレクサンデルの眼差しを
ベルイマンにとって、いつもそこに居続ける沈黙する神とは、あまりにも厳しすぎた牧師の父親だった
代々受け継がれてきた父というエゴを引き受けたくない、でも"がんじがらめ"に救いはない
だからせめてもと赦しを乞う
癒されないことへの赦しをと
https://youtu.be/hh5-MzBu6Rs?t=31s
あまりにきつくて、レンタルを延滞してしまった
「哀愁」はけっこう良かったです。しかしなんで邦題が哀愁なのだろう。
これをみて、なぜフェリーニの「カビリアの夜」でカビリアが立ち上がれたのかが間接的にわかった気がした。
カビリアは不完全な自分と、不条理な世界を受け入れることができた。だから立ち上がれた。
でも「哀愁」のマイラは完全な自分以外許せなかったのだと思う。
自分はOKである。世界はOKである。という感覚を身につけたい。
ということで映画みるの飽きた。
>>66 「ヘザーズ ベロニカの熱い日」は胸糞悪いクソ映画だった。題名だけで選んで失敗したパターンのやつや!
こんなクソ映画でも存在しているのだから、こんな自分の存在もきっと大丈夫、と思うしかなかった。またつまらぬものをみてしまった(>_<)
いや〜他人のレビューなんてあてになりませんな〜。ほっほっほっほぅ(>_<)夢夢夢
https://youtu.be/idUUkRVAeds
「ゴッドファーザー」をみても、「地獄の黙示録」をみても、何だかしっくりこなかったコッポラ映画だったけど、「ドラキュラ」をみたら何だかしっくりきた。テーマがよかったのかもしれない。映画の完成度は前者二つに見劣るとは思う。
結局どの方向に歩いていっても、最後には愛の話になる気がしている最近。
ウィノナ・ライダー美しかったなあ。石岡瑛子さんの衣装と相まって。
キャスト陣をみてもコンピ感というか不思議なオムニバス感ある。
ちなちな、ウィノナ・ライダー×ベロニカ
https://ja.wikipedia.org/wiki/ヘザース/ベロニカの熱い日
>>64 「処女の泉」のトラウマ的緊張感も忘れられない。けど「処女の泉」をもう一度見る体力・気力が今はない。
泉に浄化されたい気分はあるけど、そこまで耐えられない。
なんだかんだ言ってベルイマンの映画で一番好きなのは「魔術師」かもしれない。賛同は得られないだろうけど。
自分はファンタジックな苦悩が好きなんだな、と。
夏休みをまるまるベルイマン漬けで過ごす高校生とかいるのかな、なんて思ったり。
https://note.mu/bergman100_blog/n/nd04b9f47ccb8
父親不在の物語はもういらない。
タルコフスキーもスターウォーズも。
帰りたい場所はなくても、郷愁はなくなりつつある。
どのみち帰る場所はあるのだ。
だからなのかもしれない。
その前に自分と決着はつけたいとは思う。
でもベルイマンだけはまだ気になる。
近くにいすぎる父親、家族の物語を見て消化したい気持ちがあるからかもしれない。
300分使って。
http://amzn.asia/cOFse7C
リザードンで苦戦したその日から、炎タイプに目が行くようになった。
だって灼熱だぜ!これ以上の熱さはねえずらよ!
https://youtu.be/H-0eLXg-l84
個人的にあんまり良い映画とは思えなかったけど、印象に残った映画
乗り切れなかったけど、記憶の断片に引っかかっている
https://youtu.be/8gVBnhXFWcw
https://youtu.be/lxHbTf3R_D0
『エリン・ブロコビッチ』
無手で巨大なものに立ち向かって行くさまが、たまらなくカッコイイ
見終わったあと、複雑な気持ちの残滓の行方を、歌が方向づけてくれた
https://youtu.be/khrx-zrG460
"毎日は曲がりくねった道のよう
少しずつ近づいていくの
毎日は消えていくサイン
少しずつ良くなるように近づいていくの"
サッカーっていいなあ(↑_↑)
サッカーっていいなあ(↑_↑)
サッカーっていいなあ(↑_↑)
ドイツ版「いまを生きる」って、「いまを生きる」よりええがな。
先生ものの定型句かもしれないけど、泣けるのはなぜ。
演者、演技、演出、シナリオが良いからか。
"これは君たちの自由をかけた戦いだ
全力でいくぞ!"
のあたりから涙があふれて。
最後に流れる曲、日本でいう蛍の光にあてられた歌詞がいい。
"北や南 東や西 君がどこに行こうとも 新しき精神は世界に広がる
だから聞け 機は熟す 友よ 今は昔日のため あの遠き日々のため
友情の杯を酌み交わそう 過ぎ去りし日々を思い"
https://youtu.be/FOAABotzhtg
Auld Lang Syne
http://www.nicovideo.jp/watch/sm33007046
>>56 まだ数ページしか読んでないけど、これはすごい本だ
身体で書かれた文章というか、身体を通した言葉が紡がれているから、迫ってくる静けさと緊張感のある文体だ
そこには大人を通ったこどもが、無垢が踊っている
ち よ こ れ い と
そうだpino食べよ。
踊りという芸術の術理と身体言語というコード。
なんのためのプログラムかはわからないけど、感じられることが全て。
アーティストのすごいところは、他を発奮させ躍動させること。
バイブレーションの共振を起こさせる。
無限の種類があるチロルチョコのバラエティーパック。
そんな映画だった。一見の価値、大いにあり。
まだ数作しか見てないけどヴィム・ヴェンダースの最高傑作でしょ。
ロケハンをした人が有能すぎる。
しかしGAGAのDVDは宣伝が多いのが嫌だな。
https://youtu.be/7MSN9wDBcwU
絶対的な愛の方向性の一致 と お互いへのリスペクト。
長く続くための秘訣とはコレなのかと思った。
これまでは相思相愛だと思ってたけど、それは入口に過ぎず、愛の矢印の方向は真逆なのだと気づいた。
(もちろん人間の中に眠る絶対的な愛へ、という方向性はあるかもしれないが…)
この話は、タンゴへの絶対的な愛、の物語なのである。
そこにペアが抱える、二項対立(たとえば愛と憎)がやってくる。
タンゴへの絶対的な愛が問われるわけで。
それでも最後にはペアは解消してしまう。なぜなのか。
そんなことどうでもいいじゃないか!それよりダンスの美しさよ!
https://youtu.be/ZxE2e07ROLo
甘えることが板につきすぎて、それが甘えだと気づかない。
苦い経験をしたあとに、やっとその甘さを知る。
しかしそれではどこまでも遅く味気ないのだ。
いい人ぶるか悪態かの二択に飽き飽きしてるというのに、調和といえばひどく難しく感じる。
頭のおしゃべりにはもううんざりだ。
ありのままがたまらなく恋しい。
壁が崩れていく様を、美しい世界を、この肉体で見ていたい。
詩で埋め尽くされた映画。
誰もが詩を重ね、静かに消えていく。
その静けさがまた詩的で良かった気がする。
決断、決心、そして恋。
今日も天使が静かに佇み、語られない物語を聞いて、声なき声で囁いている。
きっときっとどこかで。
『ベルリン天使の詩』
https://youtu.be/IPMK9nAIt1s
映画 君の名は。 みんな良いっていうから楽しみにして見たけど、わたしぜんぜんぜんぜんダメだったぁぁあ
画面上が綺麗なだけで汗のニオイや、草のニオイ、そういうのが全くしてこない映画だった、、。
遠目から見た綺麗な草原を描くにも、近づけばそこにいる虫や、草の露、寝転べば汚れる土、そういう香りがしなくちゃ、
ほんとに綺麗だなんて言えない、、。
そういう香りがしない映画だった、、。ごめんなさい、、。
『リミッツオブコントロール』
う〜む、つまらなーーーい!
ジム・ジャームッシュ(以下JJ)月間と称して何本か観てきたけど、とどめの一発を喰らった感じ。
新作は観に行かなくてもいいかも…。
というかADHD的傾向のある自分には映画館でJJ映画を耐え忍ぶことができないかも。本当に面白くなければ。
さて、この映画には太極拳らしき動きが随所に出てくるのだが…。
結局と言ってはなんだけど、JJの映画は意味or無意味の向こう側というか、それが混じり合う“あわい”のようなもの(それこそ陰陽の太極ちゃいますのん?)は表現されず(タルコフスキーはそれを悠々とやってのけた)、意味or無意味の世界の表面を退屈や倦怠という手法を使って引き延ばした感じを受ける。
だからやっぱし最初に観た『ストレンジャーザンパラダイス』を観れば十分だったという。
『コーヒー&シガレッツ』の最後の話と、『デッドマン』は非常に惜しかったというか、そこからの飛躍を自分は過度に期待してしまったのです。
でも何だか悔しいので、初期作品のうちのまだ観てない『パーマネントバケーション』『ダウンバイロー』は観ます。
JJの新作映画を観に行くのはとりあえず保留(^^;)
https://1000ya.isis.ne.jp/0527.html
>>38
眠らせて無意識に吹き込まれたメッセージ
「目を覚ませ」→「覚醒せよ」
意味で満たされた世界は息苦しい。
けれど、そこから完全に抜け出すことはできない。
だけど五感をフルに使って無意味を感じることで、
心身をニュートラルな状態に戻せるかもしれない。
子供時代のあの何とも言えない甘美さは、
無意味なことを楽しめていたからだと思う。
心の故郷。ノスタルジア。
“無意味と思えることにも
耳をかたむけよう
たとえば排水溝のことや
学校の壁やアスファルト
奉仕活動や忙しい人や
虫の声にも耳をかそう
我々の視覚と聴覚
そのすべてで感じることが
我々の大いなる夢の
始まりとなるのだ”
(タルコフスキー『ノスタルジア』ドメニコの演説より)
『マイネーム・イズ・ジョー』
変わるとは螺旋階段を昇るかのようだ。
その円周は果てしなく、同じところをぐるぐるまわっているように感じられる。
昇っていると思ったら降っていることも。
一足先に飛びたい気持ちに焦らされる。
自己嫌悪のアクセルは同時にブレーキを踏んでしまう。
自分で自分を肯定しながら進むには、まず自分で自分を肯定していくしかない。
速さよりも方向とコントロールが大切だ。
と自分に言い聞かせてみる。
因に果に縁。因果に因縁。螺旋階段。
螺旋から抜け出すことが変わるということなのかな。
『コーヒー&シガレッツ』
ジムジャームッシュの映画を観て思うのは“退屈を楽しめ”ということだ。
そこで考える。“心地よい退屈とは?”(?_?)
退屈が退屈じゃなくなったらそれは退屈じゃなくなる。
だったら瞑想でもすればいいじゃないかと思うかもしれないけど、瞑想は“退屈”なんだ。
人生が退屈なら退屈を楽しめばいい。
これは難しい問題だ。
コーヒーと煙草は自分の退屈さを飲み込んでしまう。それが嗜好品というものである。
僕はどちらともやらない。
僕は退屈から生まれたんだと思う。退屈しのぎとはそういうものだ。
とにかくこの映画は退屈だっただよ。
最後の「ジャンパン」だけが“心地よい退屈”だった。
マーラーの「私は この世に忘れられ」が流れたからかもしれない。
人生が終わるときには、退屈も終わってしまう。
その最後の心地よい退屈の中では、自分にだけ聴こえる音楽が、鳴る。
スターウォーズで英語の勉強をしているわけで
一番好きなこのシーンで泣きそうになるわけで
“選ばれし者だった!” だのに
https://youtu.be/ksio3E4BYAc
ジム・ジャームッシュの作品は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』しか観たことがなかったので、九月はジム・ジャームッシュ月間ということにして作品を観まくろうと思います!
これに間に合わねぇ!
https://youtu.be/ATJa1gdbz5I
イギーが昔から怖いです。なぜだか。
>>41 24年組の2トップ(と勝手に思っている)、大島弓子と山岸凉子。
大島派か山岸派かと言えば、わてくしは山岸派なのですけど、これを分かつ一つの分岐が“抑圧に対する憎悪”だと思うのです。
で、下記の3作品を読んだ段階で、憎悪が少しずつ溶解していったのでした。
そしたら、もうしばらくは山岸作品を読まなくてもよいなと思ったのでしでし。
でしでし、めでたし。
>>36 (思い出したかのように)遅ればせながら、この映画はビミョーでした。少しグロく、少しグロい映画でした。
そもそもこの映画を観たキッカケは山岸凉子が漫画を描くキッカケだった的な何かでした。(確かこの映画の内容を級友に、漫画的なものを描いて説明したんだとか)←たぶん
ちなみに山岸凉子の作品で好きなのは
「アラベスク」「日出処の天子」「テレプシコーラ」です。
山岸凉子は人間(自分)の抑圧を描ききった漫画家だと勝手に思っておりまして…。
『SING』楽しかったです!テイラー・スウィフトの歌が特にグッときた!
これまで洋楽の歌詞をほとんど素通りして聴いていたことを少し後悔。
洋楽のMVには日本語字幕のON/OFFをつけてほしいなあと強く思いました。
訳詞カードを見つつとはわけが違うことをこの映画で気がついた。
人はなぜ歌い、なぜ歌に魅了されるのか。
「その歌うことによってね、単に歌うのが目的ではなくて、歌うことによってその対象の持っておる内的な生命力というものを、自分と共通のものにする、自分の中に取り入れる。(中略)色んなものを歌い上げてね、歌い上げた言葉の力でそういう歌われたものと、いわば霊的に交通する力が生まれて(中略)」
(白川静、梅原猛 『呪の思想 神と人間との間』、平凡社、2002年、205頁)
この映画見たいな。
「フランシス・ハ」
http://francesha-movie.net/index.html
ニューヨーク・ブルックリンで親友ソフィーとルームシェアをして、楽しい毎日を送る27歳の見習いモダンダンサー、フランシス。ところが、ダンサーとしてもなかなか芽が出ず、彼氏と別れて間もなく、ソフィーとの同居も解消となり、自分の居場所を探してニューヨーク中を転々とするはめに!さらには、故郷サクラメントへ帰省、パリへ弾丸旅行、母校の寮でバイトと、あっちこっちへ行ったり来たり。周りの友人たちが落ち着いてきていることに焦りを覚え、自分の人生を見つめ直し、もがいて壁にぶつかりながらも前向きに歩き出そうとするフランシス。不器用で大雑把だけどチャーミングな彼女の姿に、誰もが共感を覚え、心が軽やかになり、不思議なタイトル"フランシス・ハ"の意味が明らかとなるラストに胸を打たれる。