3時間かけての歩行の末、借りた本の読書が10分で終わった。読書は終わったのである。読書の終焉である。終わっていたはずなのに、私は骨を掘り返した。もう私は文字に言葉に追われるのが嫌だ。私の読書は強迫神経症的なもので、読書をしだすと内臓がきしむ。人生に対してもそうで、ただ何かに急き立てられ、焦り、消耗している。何もしてないのに!私の歩行は思考である。際限なく妄想を垂れ流して歩いている。ベッドに入れば考えがぐるぐるし、それを止めるには息を止めるしかない。息を止めている間だけ、思考は停止する。ほんの10秒ほど。こうして死が一つの魅力として迫ってきてしまうのだ。
3時間かけての歩行の末、借りた本の読書が10分で終わった。
読書は終わったのである。読書の終焉である。
終わっていたはずなのに、私は骨を掘り返した。
もう私は文字に言葉に追われるのが嫌だ。
私の読書は強迫神経症的なもので、読書をしだすと内臓がきしむ。
人生に対してもそうで、ただ何かに急き立てられ、焦り、消耗している。
何もしてないのに!
私の歩行は思考である。際限なく妄想を垂れ流して歩いている。
ベッドに入れば考えがぐるぐるし、それを止めるには息を止めるしかない。
息を止めている間だけ、思考は停止する。ほんの10秒ほど。
こうして死が一つの魅力として迫ってきてしまうのだ。