彼らは独裁的家庭で育っている【“べき”の暴君】的存在の下で彼らに“個”(自分)という概念はないあるのは、植えつけられた“こうあるべき”という小さな世界観とやっかいなプライドのみである彼らの頭にあるのは一つだけで「おれってスゲーだろ?」というマウンティング(破壊)のみそれによって満たされない永遠の渇きを潤そうとする彼らは“パワー”の心酔者である彼らはわかりやすい単純な世界観しか受け入れられないすなわち“敵か味方か?”彼らには自分を疑う“自分”が存在しないので、反省することはない謝罪も感謝もいつだって“ポーズ”である人助けは「おれスゲー」の手段として使われる彼らにとって難しいこと人を頼ったり、わからないことをわからないと認めること相手の立場になって考えること彼らは想像力が欠如している彼らは何かと“愛”を持ち出して語る自分の犯罪的行為を愛という文言ですり替えようとする特に、ゆがんだ家族愛を本気で信じ込んでいる彼らは“成熟しない”ことを担保に強靭な“鈍感さ”を手にしている彼らには“自他境界”がないので触手が永遠にのびてくるよって逆に、彼らは目に見える境界線にひどくこだわる彼らはナショナリストであることが多い自分の国スゲー = おれスゲーという単純な“解”(公式)を持っているからだ彼らにとって一番効くのは全く“相手にしない”ことである
彼らは独裁的家庭で育っている
【“べき”の暴君】的存在の下で
彼らに“個”(自分)という概念はない
あるのは、植えつけられた“こうあるべき”という小さな世界観と
やっかいなプライドのみである
彼らの頭にあるのは一つだけで
「おれってスゲーだろ?」
というマウンティング(破壊)のみ
それによって満たされない永遠の渇きを潤そうとする
彼らは“パワー”の心酔者である
彼らはわかりやすい単純な世界観しか受け入れられない
すなわち“敵か味方か?”
彼らには自分を疑う“自分”が
存在しないので、反省することはない
謝罪も感謝もいつだって“ポーズ”である
人助けは「おれスゲー」
の手段として使われる
彼らにとって難しいこと
人を頼ったり、わからないことをわからないと認めること
相手の立場になって考えること
彼らは想像力が欠如している
彼らは何かと“愛”を持ち出して語る
自分の犯罪的行為を
愛という文言ですり替えようとする
特に、ゆがんだ家族愛を本気で信じ込んでいる
彼らは“成熟しない”ことを担保に
強靭な“鈍感さ”を手にしている
彼らには“自他境界”がないので
触手が永遠にのびてくる
よって逆に、彼らは目に見える境界線にひどくこだわる
彼らはナショナリストであることが多い
自分の国スゲー = おれスゲー
という単純な“解”(公式)を持っているからだ
彼らにとって一番効くのは
全く“相手にしない”ことである