"陰謀論という「世界観」 第一次世界大戦で敗戦したドイツは領土を削られ、賠償金問題で経済も逼迫。さらに一九二九年に始まる世界恐慌で多くの有力企業が倒産し、街には失業者があふれていました。 この先、自分はどうなるのか。経済が破綻したこの国は、どうなってしまうのかー不安と極度の緊張に晒された大衆が求めたのは、厳しい現実を忘れさせ、安心してすがることのできる「世界観」。それを与えてくれたのがナチズムであり、ソ連ではボルシェヴィズムでした。 人間は、次第にアナーキーになっていく状況の中で、為す術もなく偶然に身を委ねたまま没落するか、あるいは一つのイデオロギーの硬直した、狂気を帯びた一貫性に己を捧げるかという前代未聞の二者択一の前に立たされたときには、常に論理的一貫性の死を選び、そのために肉体の死をすら甘受するだろうーだがそれは人間が愚かだからとか邪悪だからということではなく、全般的崩壊のカオス状態にあっては、こうした虚構の世界への逃避こそが、とにかく最低限の自尊と人間としての尊厳を保証してくれるように思えるからなのである。
"陰謀論という「世界観」
第一次世界大戦で敗戦したドイツは領土を削られ、賠償金問題で経済も逼迫。さらに一九二九年に始まる世界恐慌で多くの有力企業が倒産し、街には失業者があふれていました。
この先、自分はどうなるのか。経済が破綻したこの国は、どうなってしまうのかー不安と極度の緊張に晒された大衆が求めたのは、厳しい現実を忘れさせ、安心してすがることのできる「世界観」。それを与えてくれたのがナチズムであり、ソ連ではボルシェヴィズムでした。
人間は、次第にアナーキーになっていく状況の中で、為す術もなく偶然に身を委ねたまま没落するか、あるいは一つのイデオロギーの硬直した、狂気を帯びた一貫性に己を捧げるかという前代未聞の二者択一の前に立たされたときには、常に論理的一貫性の死を選び、そのために肉体の死をすら甘受するだろうーだがそれは人間が愚かだからとか邪悪だからということではなく、全般的崩壊のカオス状態にあっては、こうした虚構の世界への逃避こそが、とにかく最低限の自尊と人間としての尊厳を保証してくれるように思えるからなのである。