>>1 見たくねーよ!!*
ムーミンの映画見るっしょ^^^^^
http://youtu.be/X92SAumbKuA
STORY
ムーミン一家は、ムーミン谷を抜け出し、南の海へとバカンスにやってきました。わくわくしていた気分もつかの間、フローレンとムーミンパパは貴族の豪華で贅沢な暮らしにすっかり虜になってしまいます。そんなふたりに腹を立てたムーミンとムーミンママは、ホテルから飛び出してしまいます・・・!果たしてムーミンたちはこのままバラバラになってしまうのでしょうか?
ルイ・マル「さよなら子供たち」
子供の頃に感じた何とも言い表せない理不尽さをこんなにも美しく表現したことに感動しました。ラストシーン大好きです。
ベルイマン『第七の封印』
「死」とチェスをする前に
あなたも観よう。
いつも考えていること
死や人生、そして神。
答えない。答えがない。
手を繋いだ死のダンス。
https://youtu.be/1m3KCL48Ep4
タルコフスキー「ノスタルジア」
僕の一番好きな映画
いつもドメニコの演説の言葉を生きるたびに見返す
終末、大音量、きれぎれのベートーベン、大根ジャンプ
ビクトル・エリセ「エル・スール」
沈黙に沈黙で答える。
人間誰にも言えないことがある。
居場所のなさが、自分の立てた壁にもたれて。
「水の中のナイフ」 ロマン・ポランスキー
3−□−□+□+□=?
空の下の密室。良質人間ドラマ。
数字は恐ろしい。数字は数字。
それ以下でもそれ以上でもない。
失くした物は?亡くした者は?
三人旅の一人乞食。
“母さん 僕は愚かだ”
「ニーチェの馬」を観た。
じゃがいも、じゃがいも、じゃがいも。
気をつけないと気が滅入るよ。
日常が、ルーティンがそがれていく。
“終わり”に置き去りにされたとき、
あなたはじゃがいもを食べますか?
https://youtu.be/HOSb_lG-W74
ポン助氏が書いてた第七の封印とノスタルジア借りてみたよU・ω・Uそしたらどっちも眠っちゃったU・ω・U 次回リベンジU・ω・U
>>30 タルコフスキーの洗礼を受けましたね。
これまでも数多くの人を眠らせてきたようです。
僕も「惑星ソラリス」「アンドレイ・ルブリョフ」は
良い睡眠導入剤で最後まで観れたことはありません。
慣れてきたら「ストーカー」もおすすめです。
ベルイマンと同じスウェーデンでもラッセ・ハルストレムもいますよね。
「マイライフ・アズ・ア・ドッグ」「やかまし村の子どもたち」
「ギルバート・グレイプ」「サイダーハウスルール」
ギルバート・グレイプのディカプリオには本当にびっくりしたのです。
語り過ぎました。やさしさをありがとう。
https://youtu.be/-0XULiTbGvg
夏の蚊に刺された。
装置によって蚊は、僕の知らないところで死んでいった。
もしかしたら生きているかもしれない。
ベルイマンの「夏の遊び」を観た。
退屈だったけど、退屈だったから観たのだ。
経年変化を楽しもうってタイプだろう。
これは映画である。
今を生きるということ。
なぜマリーは今を生きることができたのか?
なぜ壁を取り除き、自己受容をし、他者を迎え入れることができたのか?
年老いた 過去を語るだけの“おっせかいな”ゾンビ達。
装置として機能しているのには笑った。
誰も知らないところで死ぬのはあんまりだ。
誰も知らないところで生きるのもあんまりだけど。
夏には年を取る。
もうすぐ10万28歳だ。
おいおいこの部屋匂うぞ!
これまでスルーしてきたじゃんる、ホラー!
ということで『世にも怪奇な物語』である。
怖かったらどうしよう。
どうしよう どうしよう (以下クラリネットをこわしちゃった)papa kirai
それにしても、痔もてぃー、どうしよう。ボラギノール ランボルギーニ
>>34 星0つ!ぢごくのようにつまらない映画でした。
人のレビューはあてにならない。人の気分は、人の気分だ。
退屈で、良い映画なのは『ストレンジャー・ザン・パラダイス』です。
返却までが映画なのですよ(;´д`)トホホギス
次は『顔のない眼』に挑戦するずらよ!(わぐわぐさん)
散歩道聴きながら散歩したら、元祖げーとぼーらーず達が濃縮還元100%のoi oi oiで元気いっぱい!
https://youtu.be/ygEislZyUzY
>>31
このごろ仲良しのかっこいいおじさんが惑星ソラリスのこと話してたから真似して観てみたらやっぱりこれも寝ちゃったのよ〜(> <)鈴の音が眠気誘うの〜〜!
最近みた映画でおもしろかったのは〜SING(^v^)
>>37 タルコフスキーの眠らせる、あれはもう無意識に問いかける仕掛けなのだと思うのです。
うるさい意識を眠らせて、底に何かを植えつけられる気がするの。
でも、ストーカー、ノスタルジア、サクリファイスの三作品はどこかで思い出すと泣いちゃうのです。
タルコフスキーは人間に絶望しきっていた気がするけど、その一方で人間を底では信じていたと思うから。
それは僕がそう思いたいだけかもしれないけど。
例えば核爆弾が放たれる前に、それは死ぬ前に、変われない人達を卒業して自分自身を開花させたいのです。
マタイ受難曲が流れるサクリファイス。
”はじめに言葉ありき”が身にしみます。
おすすめの映画観てみます!
楽しみなのです。本当は楽しい映画が好きなの。
『ラスト・シューティスト』
ジョン・ウェインという生き方。
ジョン・ウェインという死に方。
ラストで涙がジョン・ウェイン。
僕は今日も生きている。
『SING』楽しかったです!テイラー・スウィフトの歌が特にグッときた!
これまで洋楽の歌詞をほとんど素通りして聴いていたことを少し後悔。
洋楽のMVには日本語字幕のON/OFFをつけてほしいなあと強く思いました。
訳詞カードを見つつとはわけが違うことをこの映画で気がついた。
人はなぜ歌い、なぜ歌に魅了されるのか。
「その歌うことによってね、単に歌うのが目的ではなくて、歌うことによってその対象の持っておる内的な生命力というものを、自分と共通のものにする、自分の中に取り入れる。(中略)色んなものを歌い上げてね、歌い上げた言葉の力でそういう歌われたものと、いわば霊的に交通する力が生まれて(中略)」
(白川静、梅原猛 『呪の思想 神と人間との間』、平凡社、2002年、205頁)
>>36 (思い出したかのように)遅ればせながら、この映画はビミョーでした。少しグロく、少しグロい映画でした。
そもそもこの映画を観たキッカケは山岸凉子が漫画を描くキッカケだった的な何かでした。(確かこの映画の内容を級友に、漫画的なものを描いて説明したんだとか)←たぶん
ちなみに山岸凉子の作品で好きなのは
「アラベスク」「日出処の天子」「テレプシコーラ」です。
山岸凉子は人間(自分)の抑圧を描ききった漫画家だと勝手に思っておりまして…。
>>41 24年組の2トップ(と勝手に思っている)、大島弓子と山岸凉子。
大島派か山岸派かと言えば、わてくしは山岸派なのですけど、これを分かつ一つの分岐が“抑圧に対する憎悪”だと思うのです。
で、下記の3作品を読んだ段階で、憎悪が少しずつ溶解していったのでした。
そしたら、もうしばらくは山岸作品を読まなくてもよいなと思ったのでしでし。
でしでし、めでたし。
ジム・ジャームッシュの作品は『ストレンジャー・ザン・パラダイス』しか観たことがなかったので、九月はジム・ジャームッシュ月間ということにして作品を観まくろうと思います!
これに間に合わねぇ!
https://youtu.be/ATJa1gdbz5I
イギーが昔から怖いです。なぜだか。
スターウォーズで英語の勉強をしているわけで
一番好きなこのシーンで泣きそうになるわけで
“選ばれし者だった!” だのに
https://youtu.be/ksio3E4BYAc
『コーヒー&シガレッツ』
ジムジャームッシュの映画を観て思うのは“退屈を楽しめ”ということだ。
そこで考える。“心地よい退屈とは?”(?_?)
退屈が退屈じゃなくなったらそれは退屈じゃなくなる。
だったら瞑想でもすればいいじゃないかと思うかもしれないけど、瞑想は“退屈”なんだ。
人生が退屈なら退屈を楽しめばいい。
これは難しい問題だ。
コーヒーと煙草は自分の退屈さを飲み込んでしまう。それが嗜好品というものである。
僕はどちらともやらない。
僕は退屈から生まれたんだと思う。退屈しのぎとはそういうものだ。
とにかくこの映画は退屈だっただよ。
最後の「ジャンパン」だけが“心地よい退屈”だった。
マーラーの「私は この世に忘れられ」が流れたからかもしれない。
人生が終わるときには、退屈も終わってしまう。
その最後の心地よい退屈の中では、自分にだけ聴こえる音楽が、鳴る。
『マイネーム・イズ・ジョー』
変わるとは螺旋階段を昇るかのようだ。
その円周は果てしなく、同じところをぐるぐるまわっているように感じられる。
昇っていると思ったら降っていることも。
一足先に飛びたい気持ちに焦らされる。
自己嫌悪のアクセルは同時にブレーキを踏んでしまう。
自分で自分を肯定しながら進むには、まず自分で自分を肯定していくしかない。
速さよりも方向とコントロールが大切だ。
と自分に言い聞かせてみる。
因に果に縁。因果に因縁。螺旋階段。
螺旋から抜け出すことが変わるということなのかな。
>>38
眠らせて無意識に吹き込まれたメッセージ
「目を覚ませ」→「覚醒せよ」
意味で満たされた世界は息苦しい。
けれど、そこから完全に抜け出すことはできない。
だけど五感をフルに使って無意味を感じることで、
心身をニュートラルな状態に戻せるかもしれない。
子供時代のあの何とも言えない甘美さは、
無意味なことを楽しめていたからだと思う。
心の故郷。ノスタルジア。
“無意味と思えることにも
耳をかたむけよう
たとえば排水溝のことや
学校の壁やアスファルト
奉仕活動や忙しい人や
虫の声にも耳をかそう
我々の視覚と聴覚
そのすべてで感じることが
我々の大いなる夢の
始まりとなるのだ”
(タルコフスキー『ノスタルジア』ドメニコの演説より)
『リミッツオブコントロール』
う〜む、つまらなーーーい!
ジム・ジャームッシュ(以下JJ)月間と称して何本か観てきたけど、とどめの一発を喰らった感じ。
新作は観に行かなくてもいいかも…。
というかADHD的傾向のある自分には映画館でJJ映画を耐え忍ぶことができないかも。本当に面白くなければ。
さて、この映画には太極拳らしき動きが随所に出てくるのだが…。
結局と言ってはなんだけど、JJの映画は意味or無意味の向こう側というか、それが混じり合う“あわい”のようなもの(それこそ陰陽の太極ちゃいますのん?)は表現されず(タルコフスキーはそれを悠々とやってのけた)、意味or無意味の世界の表面を退屈や倦怠という手法を使って引き延ばした感じを受ける。
だからやっぱし最初に観た『ストレンジャーザンパラダイス』を観れば十分だったという。
『コーヒー&シガレッツ』の最後の話と、『デッドマン』は非常に惜しかったというか、そこからの飛躍を自分は過度に期待してしまったのです。
でも何だか悔しいので、初期作品のうちのまだ観てない『パーマネントバケーション』『ダウンバイロー』は観ます。
JJの新作映画を観に行くのはとりあえず保留(^^;)
https://1000ya.isis.ne.jp/0527.html
この映画見たいな。
「フランシス・ハ」
http://francesha-movie.net/index.html
ニューヨーク・ブルックリンで親友ソフィーとルームシェアをして、楽しい毎日を送る27歳の見習いモダンダンサー、フランシス。ところが、ダンサーとしてもなかなか芽が出ず、彼氏と別れて間もなく、ソフィーとの同居も解消となり、自分の居場所を探してニューヨーク中を転々とするはめに!さらには、故郷サクラメントへ帰省、パリへ弾丸旅行、母校の寮でバイトと、あっちこっちへ行ったり来たり。周りの友人たちが落ち着いてきていることに焦りを覚え、自分の人生を見つめ直し、もがいて壁にぶつかりながらも前向きに歩き出そうとするフランシス。不器用で大雑把だけどチャーミングな彼女の姿に、誰もが共感を覚え、心が軽やかになり、不思議なタイトル"フランシス・ハ"の意味が明らかとなるラストに胸を打たれる。