『コーヒー&シガレッツ』ジムジャームッシュの映画を観て思うのは“退屈を楽しめ”ということだ。そこで考える。“心地よい退屈とは?”(?_?)退屈が退屈じゃなくなったらそれは退屈じゃなくなる。だったら瞑想でもすればいいじゃないかと思うかもしれないけど、瞑想は“退屈”なんだ。人生が退屈なら退屈を楽しめばいい。これは難しい問題だ。コーヒーと煙草は自分の退屈さを飲み込んでしまう。それが嗜好品というものである。僕はどちらともやらない。僕は退屈から生まれたんだと思う。退屈しのぎとはそういうものだ。とにかくこの映画は退屈だっただよ。最後の「ジャンパン」だけが“心地よい退屈”だった。マーラーの「私は この世に忘れられ」が流れたからかもしれない。人生が終わるときには、退屈も終わってしまう。その最後の心地よい退屈の中では、自分にだけ聴こえる音楽が、鳴る。
『コーヒー&シガレッツ』
ジムジャームッシュの映画を観て思うのは“退屈を楽しめ”ということだ。
そこで考える。“心地よい退屈とは?”(?_?)
退屈が退屈じゃなくなったらそれは退屈じゃなくなる。
だったら瞑想でもすればいいじゃないかと思うかもしれないけど、瞑想は“退屈”なんだ。
人生が退屈なら退屈を楽しめばいい。
これは難しい問題だ。
コーヒーと煙草は自分の退屈さを飲み込んでしまう。それが嗜好品というものである。
僕はどちらともやらない。
僕は退屈から生まれたんだと思う。退屈しのぎとはそういうものだ。
とにかくこの映画は退屈だっただよ。
最後の「ジャンパン」だけが“心地よい退屈”だった。
マーラーの「私は この世に忘れられ」が流れたからかもしれない。
人生が終わるときには、退屈も終わってしまう。
その最後の心地よい退屈の中では、自分にだけ聴こえる音楽が、鳴る。